Dionysian

ディオニュシアンは3年間オリンポスで暴走し続ける。その中で竜王との酔狂な宴も星々の流れるさまも経験した。音楽ファンの絶叫に勝ったかと思うと太湖のねばり強さに負け、育音堂からVAS、バンダイナムコといったライブハウスへ、 そして上海から全国各地へ、悲しくもないただのパーティーから一杯のブラッドオレンジのポンチまで。ずっとずっと、ワインの神様は5人体制で、ワインのグラスを掲げて準備万端だ。 どうか時の終わりまで、飲み続けようじゃないか。 ニーチェは『悲劇の誕生』の中で、ディオニソス(酒神の精神)は極度の感性、無秩序、狂乱を表し、これらは芸術の根源であると論じている。われわれはニーチェの子供であり、ワインの神への祭祀であり、感性の源である快楽の真理を求めて素晴らしく無秩序な音楽を崇拝しているのです。 もしあなたもポストパンクが溶けた後のかじかむような寒さを乗り切ろうとして、ポストロック、シューゲイズ、ウォール・オブ・サウンドといった気の迷いから抜け出そうとしているのなら、ぜひとも避難所の木造住宅に足を運び、ワインの神様と酒を掲げ、強い心を温め、高揚させる一杯を飲んでみてはどうか。

世界にいろいろな花があるように、世界にはいろいろな美しさがある。 美しいバラであることもあれば、他の花であることも。 香り高いものであってもいいし、独自の香りを持つものであってもいい。 しかし、世界はいつも自分の価値観を勝手に押し付け、自分の正しさや間違ったうつくしさを定義しようとする。 そんな誤りが、同性が好きな人、髪をピンクに染める人、型破りな子供たちを排除してしまう。 彼らは自分から枯れたのではなく、誰かにへし折られたのだ。 そして、泥から顔を覗かせるすべての花が「世界の口」から生まれてくる嵐に負けずにまっすぐ立っているようにと願いながら、ディオニュシアンはこの曲を作った。